わけも分からず辿り着いた家で、ナルシッサはベラトリックスの言葉の意味を理解した。
ハウスエルフが飛び出して扉を開けた瞬間から、凄まじい悲鳴が聞こえてきたのだ。
「入って!早く!!」
びっくりして立ちすくむナルシッサを無理やり押し込んで、ベラトリックスは思い切り扉を閉め
る。
ハウスエルフが耳を挟んでキーキーと鳴き声をあげたが、ベラトリックスは一言「馬鹿」と言い
捨て、そのままさっさと二階へ上がってしまう。
さすがに気になって、ナルシッサは扉を少し開けてハウスエルフを救出してやったが、ベラト
リックスが早くついて来いと身振りで伝えるので、感謝感激するハウスエルフにトランクを押し
付け、小走りに階段を駆け上がった。
二人はナルシッサの寝室に入り、ベラトリックスが内側から鍵をかける。
イースターから2ヶ月ぶりの我が家だというのに、先刻からわけのわからないことが続き、ナ
ルシッサは混乱していた。
帰宅する間、ベラトリックスは家についてから話すと言うばかりで、ナルシッサの質問に答え
ることを一切拒否したのだ。
「ねえベラ、一体どうしたの?なんでベラが迎えに来たの?アンは?」
もういいだろうとばかりに、勢い込んで続けざまに疑問をぶつけてくる妹を正面から見据え、
ベラトリックスは静かに告げた。
「アンドロメダの名前を口にするのはやめなさい。」
あまりに冷たい声に、ナルシッサは何故、と言うことさえできなかった。
ベラトリックスはゆっくりとベッドの端に腰を下ろし、ナルシッサに隣に来るよう示した。ナルシ
ッサが並んでベッドに座ると、ベラトリックスが再び口を開いた。
「ついさっき、あいつから手紙が届いたわ。」
あいつ、というのがアンドロメダだというのは、すぐに分かった。
誰かがこんなに憎しみを込めて、アンドロメダのことを話すのを聞くのは初めてだった。
止めて、と言いたかった。これ以上聞くのは恐い。話すのを止めて、と言いたかった。
しかし聞かないわけにはいかない。
ナルシッサはいつしか、握り締めた掌が小刻みに震えていることに気づいた。
「家を、出るって。」
ギリ、と音がするくらいベラトリックスが歯を噛み締めた。
「好きな男と添い遂げたいって。」
耳の奥で何かがガンガン鳴るような気がした。
ベラトリックスの言葉が、何度も反響する。
「ルシウスのところにも手紙を寄越して―――指輪を返したの。」
胸が熱くなった。小さな炎がチラチラと焦がすように、内側からナルシッサを侵していく。
炎が心を溶かし、溶かされた醜いものがドロドロと溢れてくるのが分かった。
指輪を返した?
ルシウスを拒否した?
一度は受け入れたくせに、どうして今になって逃げ出したりするの。
私たちすら置き去りにして。
(酷い・・・)
酷い裏切りだ。ルシウスに対しても、ナルシッサに対しても。
大好きな人と、大切な姉が幸せになれるのならと思ったからこそ、ナルシッサは自分の想い
を隠してしまうと決めたのに。
(なのにどうして今になって―――!)
噴き出した感情はたった一つの思いに集約されていく。
アンドロメダが憎い。
(―――嫌・・・・・・ッ・・・・・・!)
見たくなかった。知りたくなかった。
自分の中に、こんなに汚いものが潜んでいるなんて。
気づきたくなかった。
気づかないでいるために、いつだって精一杯、無邪気を装い、笑顔を振りまいていた。あの、
夏の日から。
それなのに、今までの努力を嘲笑うかのように、隠れていた醜い思いが全身に浸透していく。
アンドロメダが憎い。
―――違う。憎いのではない。羨ましいのだ。
素敵な人に愛することを誓われたアンドロメダが。
ナルシッサはずっと、アンドロメダを羨んでいたのだ。
それなのにアンドロメダは走り去ってしまった。
ルシウスと一緒に歩いていけること、それよりさらに大きな幸せを求めて。
「どうして・・・・・・」
声が、震えた。
「・・・・・・どうして・・・・・・?」
結局、アンドロメダはそれから一週間が過ぎても、戻らなかった。
アンドロメダの駆け落ちに、家中が騒然となった。
ナルシッサの両親はもちろん、親族が毎日のように集まり、階下の応接間からは、怒鳴り声
やすすり泣き、ため息が尽きることはなかった。
ベラトリックスは既にロンドンで新居を構えていたが、夫を連れて一時的に実家に戻ってき
た。母親にとってはこれが唯一の慰めになったようで、苦虫を潰したような表情で親族が帰っ
た後、二人で何時間も話し合っているのを何度となく目にした。
両親は、ナルシッサにはできる限りアンドロメダのことを耳に入れまいとしたが、それは無駄
な試みだった。いくらドアをぴったり閉めたところで、怒鳴り声はこれでもかというほど響いてく
るのだ。
聞き取れる単語を組み合わせるだけで、アンドロメダが逃げた相手は同学年のテッド・トンク
スというマグル生まれだということ、ホグワーツ特急から箒で抜け出すという離れ業をやっての
けたこと、どうやら二人でロンドンにいるようだが、なんらかの魔法を使って見つからないように
しているらしいこと、当然だがルシウスとの婚約は破棄になったこと、等々、詳しく知ることがで
きた。
ルシウスの名前が出たとき、ナルシッサはキュンとなった。
ベラの結婚式以来、会っていない。今頃どうしているだろう。
アンドロメダが去って、悲しんでいるかもしれない。もしかしたら泣いているかもしれない。
ナルシッサはよく、アンドロメダとルシウスの夢を見た。
夢はいつも、ロンドンに帰るホグワーツ特急に乗り込む直前、アンドロメダを最後に見た場面
で終わる。
『シッサ、足元に気をつけて!』
大きな荷物を危なっかしげに運ぶナルシッサを、アンドロメダは手伝ってくれた。
『私は先頭のコンパートメントにいるから。何かあったら来なさいね。』
分かった、と答えて友人たちの輪に入りかけたナルシッサをアンドロメダが呼び止めた。
肩を掴まれ、じっと見つめられる。
『アン?』
もの言いたげな瞳は、けれど何も語らず、ただじっとナルシッサを見つめている。
『アン、どうしたの?』
やがてふっと、いつもの微笑を浮かべると、アンドロメダはなんでもないわ、と答えて背を向け
た。
そのとき彼女の左手に目をやったナルシッサは、思わずこう聞きかけるのだ。
『アン、指輪をどうしたの?』
そして、目が覚める。
あの時、もしもそう聞いていたら、アンドロメダはなんと答えただろう。
実際には、単に慌しい時に着けていてなくしたらいけないので外しているのだろうとしか考え
ず、ベラトリックスから話を聞くまで、アンドロメダが指輪を外していた事実すら忘れかけていた
というのに。
もうあの時、ルシウスの元に手紙と指輪を運んだというアンドロメダのフクロウは、飛び立っ
ていたのだろう。
ルシウスが手紙を受け取り、指輪を見つけ―――
「ルシウスさま・・・・・・」
どうしようもなく胸が痛んで、ナルシッサは泣いた。

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