気が付くと二人はありふれた家々が立ち並ぶ住宅街の往来に立っていた。ハリーは近くの街
灯にもたれかかり、大きく息を吸った。その途端、ハリーの目の前に突然スネイプが現れ、透
明マントを荒々しく脱ぎ捨てた。スネイプは紙のように白い顔で杖を握り締め、おもちゃのブロ
ックみたいにそっくりな家々を見比べ、血走った目を素早く左右に走らせた。
「ポッター! どこだ!」
 スネイプの声は静まり返った住宅街に虚しく反響した。
ハリーは徐々に理解していた。これは十六年前のハロウィンの夜、ヴォルデモートがゴドリック
の谷を襲った時の出来事なのだ。スネイプは森の中から透明マントに包まったまま、ゴドリック
の谷へ姿現わししていた。しかしポッター家には守人の護りがかけられているので、真の守人
であったペティグリューから場所を教えられていないスネイプには、ポッター家が見えないの
だ。
 再び刺すような痛みに見舞われ、ハリーは目を固く閉じた。スネイプの怒鳴り声も、マルフォ
イが自分の名前を呼ぶ声も遠ざかり、聞こえなくなっていく。
 助けに行かなくては、とハリーは思った。今、この瞬間にも両親はその身を投げ出し、赤ん坊
のハリーを守ろうとしている。自分に命を与えてくれた両親を救うために、何かしなくてはと思う
のに、肉体は焼けきれるほどの痛みに屈し、金縛りにあったように動けなかった。もう一秒だっ
て我慢できないと思ったその時、瞼の裏側が緑色の閃光に塗りつぶされ、額の痛みは始まりと
同様、唐突に消えていった。
 ハリーは街灯を背に、ずるずるとしゃがみ込んだ。全身が悪寒に震えていた。助け起こそうと
屈み込んだマルフォイの体越しに、ハリーはそれまでぴったりと寄り添っていた二軒の家の間
に、もう一軒別の家が出現したのを見た。
 その家は通りの他の家とほとんど変わらない、ありふれた一軒家のはずだった。しかしそれ
はもはや家とは呼べないほど、破壊し尽くされていた。一階部分はぺしゃんこに潰れ、土台の
上にいきなり、屋根が半分以上吹き飛んだ二階が乗っている。
 これだけの被害があったというのに、両隣の家は壁にひび一つ入らず、中で眠る幸せなマグ
ルたちが起きだしてくる気配すらなかった。
「ポッター…」
 スネイプは茫然と呟き、その場に膝をついた。しかし風に乗って赤ん坊の泣き声に、スネイプ
は弾かれたように立ち上がると、杖灯りをかざして声の出所を探した。崩れかけた二階の屋根
の下に、今にも潰されそうな状態のベビーベッドが置かれていた。
 スネイプが瓦礫の山をよじ登り、ベビーベッドへ近付きかけたその時、不安定に傾いた屋根
を支えていた柱がミシミシと嫌な音を立てた。スネイプが慌てて腕を伸ばすが、強力な呪文の
跳ね返りを浴びた柱はもう耐えられなかった。支えを失った屋根はあっという間に崩れ落ち、も
うもうたる砂埃がスネイプとベビーベッドを飲み込んだ。マルフォイが助け出そうと走り出した
が、とっくに手遅れだったし、仮に間に合ったとしても他人の記憶の中では自分達が手も足も
出せないことをハリーはよく知っていた。
 時間にすればほんの数十秒のことだったが、砂埃が舞い落ちて視界を取り戻すまでの、永
遠とも思える長い時間が過ぎた時、ハリーの目に信じ難いものが飛び込んできた。スネイプが
ベビーベッドの上に覆いかぶさるようにして、崩れ落ちた屋根の残骸から赤ん坊のハリーを守
っている。
 ハリーもマルフォイも、足に根が生えたように立ち尽くし、一枚の切り取られた絵のようなその
光景を見つめていた。
 突然、スネイプの背中に重く圧し掛かっていた木材が浮き上がり、ベビーベッドから十分に離
れた、安全な場所まで移動した。
 いつの間にか瓦礫の山の真ん中に、ダンブルドアが立っていた。ダンブルドアはまるでふか
ふかの絨毯の上でも歩くかのような足取りで、スネイプの方へ歩み寄った。
「どうやらヴォルデモート自ら、予言を達成させたようじゃな」
 ダンブルドアはスネイプを助け起こし、ベビーベッドのハリーを覗き込んだ。
「セブルス、ハリー同様、ジェームズとリリーが生きているかもしれないと期待するのは、無駄じ
ゃ」ダンブルドアがとても静かに言った。「彼らは自分の運命を受け入れたのじゃ」
「運命?」
 低い唸り声がスネイプのものだと分かるまでに、少し時間が必要だった。ハリーはスネイプが
もっとも最悪に怒り狂った時でさえ、こんな狂暴な声を上げるのを聞いたことがなかった。
「あんな予言! 予言者気取りのいんちき占い師の戯言に、一体なんの価値があるというので
す?」
「予言はそれ自体が意味を持つわけではない。予言を受けた者がいかに行動するかによっ
て、初めて意味が与えられる」
 ダンブルドアは母親を求めてベビーベッドでぐずっている赤ん坊に手をかざした。赤ん坊はた
ちまち健康な寝息をたてて眠ってしまった。ダンブルドアは赤ん坊に慈愛と悲しみに満ちた眼
差しを与えると、何かを探し求めるかのようにベビーベッドの周りを歩きまわった。やがてダン
ブルドアが、倒れた洋箪笥の下から取り上げた物を見て、ハリーはあっと声を上げた。
「グリフィンドールの剣」
 スネイプがなぜそんなものがここにあるのか理解できない様子で呟いた。
「わしがジェームズとリリーに預けたのじゃよ。彼らはその意味を知らなんだ。セブルス、説明し
よう。きみには秘密を知る義務がある」
「義務なのですか? 権利ではなく?」
「左様、これはきみの義務じゃよ」
 ダンブルドアはグリフィンドールの剣をローブの内側にしまいながら言った。
「あやつは今宵、消えた」
 ダンブルドアが今どんな表情をしているのか、ハリーが立っている場所からは陰になっていて
見ることができなかった。
「察するに、リリー・エヴァンズの護りじゃ。愛という名の、この世でもっとも尊い魔法の鉄壁の
護りによって、ヴォルデモートは自ら放った死の呪文を弾き返されたのじゃろう」
「では、闇の帝王が死んだと…?」
「死ではない、セブルス。まことにざんねんじゃが、わしはそう確信しておる」
 ダンブルドアは言った。
「ヴォルデモートは恐らく、まだ完全に息絶えたわけではあるまい。あやつはいつの日か必ず、
より強大な力を持ち、復活してくるじゃろう」
 ダンブルドアは目を閉じ、ふうっと長いため息をついた。
「あやつの奇妙な癖をわしはよく知っておった。名前を変え、姿形を変え、それでもあやつは孤
児院の棚いっぱいに他の子供たちから奪い取ったおもちゃを隠していたトム・リドルの頃と、全
く変わらぬ行動を繰り返していたのじゃよ、セブルス。蒐集じゃ」
「なんですって?」
「あやつはホグワーツに人一倍の愛着を持っていた。ほとんど執念と言えるかもしれん。セブ
ルス、きみなら理解できるのではないかね?」
 半月型の眼鏡の奥から、ダンブルドアは明るいブルーの瞳をスネイプに向けた。その瞳の光
が自分までも射抜いている気がして、ハリーはどきっとした。
「数年前からわしは、ヴォルデモートがホグワーツにまつわる、伝統的な品々を集めているとい
う情報を掴んでおった。ヘプシバ・スミスという老女が死亡し、年老いた屋敷しもべ妖精が有罪
判決を受けた事件を覚えているかの? 後に遺族が、ヘプシバが所有していたハッフルパフ
のカップとスリザリンのロケットがないと訴え、騒ぎになった。ヘプシバの死の直前、ヴォルデモ
ートが彼女に接触し、カップとロケットに手を触れていたという事実があるとしたら、きみはどう
思うかのう」
 スネイプは答えなかった。この季節にしては暖かい風が吹き、ダンブルドアの長いローブの
裾を揺すっていった。
「あなたは先ほど、グリフィンドールの剣をポッターに預けたのは自分だとおっしゃった」
 長い沈黙の後で、スネイプが驚くほど掠れた声で言った。
「あなたには、闇の帝王がグリフィンドールの剣を欲しがるだろうと、予測が付いていたのでは
ないですか?」
「その通りじゃ」
 ダンブルドアは生徒が授業中に正しい答えを言えた時とおなじくらいのさりげなさで頷いた。
「彼らの手元にゴドリックの剣があることを、あなたは帝王に教えていたのですか? だからあ
の方はこんなにも早くゴドリックの谷を襲撃した――守人の呪文が破られたその日の内に」
「わしがうっかり漏らした一言が、回りまわってヴォルデモートの耳に入ったかもしれぬという可
能性は否定できんのう、セブルス。ヴォルデモートにしてみればまたとない機会じゃったろう。
自らの存在を脅かす予言の少年の元に、ホグワーツの創始者縁の品が隠されているとあれ
ば、是が非でも少年の命と秘宝、両方を手中に納めようと試みるに違いない」
 ダンブルドアは言った。
「リリー・エヴァンズはわしが知る限り最も勇敢で、優れた魔女の一人であり、同時に愛情深い
母親じゃった。彼女なら、目前で子供を殺されそうになった時、迷わず我が身を犠牲にするだ
ろうと思っておった」
 スネイプが顔を上げた。まるで墓穴から這い出してきた死人のように蒼白な顔だった。
「それでは…」
 スネイプが舌で上唇を舐めた。
「ポッターとエヴァンズを餌にしたのですか」
 ダンブルドアは何も答えなかった。
「この子供の額にはしるしがある! 闇の帝王に比肩し、帝王すら知りえない力を持つ者として
のしるしが」
 スネイプは血を吐くように吼えた。
「あなたは闇の帝王を打ち負かすことができる子供が必要だった! そのためには帝王自身
と、予言の条件に合致するこの子を引き合わせる必要があった。違いますか?」
「わしはリリーに剣を預ける時、一つの魔法を教えただけじゃ。彼女の息子の命を確実に護る
ことができる、古い魔法じゃ」
 ダンブルドアはスネイプに背を向け、ゆっくりと瓦礫の山を降りていった。ハリーはスネイプが
杖を振り上げて、ダンブルドアの背中に向けたのを見た。スネイプの両目は天文台の塔の上
でダンブルドアに死の呪文を放った時とは比べ物にならないほど、強い嫌悪と憎しみが燃え上
がっていた。しかしスネイプはすぐに力なく杖を降ろすと、ベビーベッドの柵に手をかけ、中で眠
るハリーを見つめた。スネイプは唇を噛み締め、赤ん坊の額に刻まれた稲妻型の傷痕にそっ
と触れた。
「我々はここから立ち去る必要があろうぞ、セブルス。ハリーについてはすでに万策の護りを用
意しておる。後ほど迎えの者を寄越す時に、我々がいるのは都合がよくないのじゃ」
 スネイプはダンブルドアの言葉が聞こえなかったかとでもいうように、動こうとしなかった。し
かし突然顔を上げて振り向くと、今度はダンブルドアを追い抜き、どんどん先へ歩いていった。
ヴォルデモートが破壊し、ジェームズとリリーの遺体がいまだどこかに埋もれている、かつて家
だったものの残骸に背を向けて。
「わしはこの決断を後悔はせぬじゃろう」
 ダンブルドアが独り言のように言った。
「この夜払われた犠牲の上に、やがて罪なき何千人、何万人もの魔法使いたちの幸福が芽吹
くことじゃろう。我々は予言の子供を手に入れた」
 スネイプは振り向きもしなかった。この悲劇の地から一刻も早く立ち去ろうとマントをなびか
せ、かろうじて破損を免れた木の門をくぐり抜けて住宅街の通りへ出た。東の空が薄いラベン
ダー色に染まり、山の稜線の端から太陽がわずかに顔を覗かせた。
「しかしセブルス、これだけは覚えておくのじゃ。ヴォルデモートは必ず帰ってくる。そしてその
時には、あやつが持つにもっとも相応しいこの剣を用いて、今度こそハリー・ポッターの命を奪
おうとするじゃろう。忘れてはならんぞ、セブルス。きみは予言をヴォルデモートに伝えた瞬間
から、すでに予言を実現させる者としての責任をおっておる」