ベッドの脇に立つマクゴナガル先生は、一瞬、制止するようなそぶりを見せたが、ハリーはさ
っさと廊下へ出た。そのまま閉めかけたドアを押し戻し、ハーマイオニーもついてくる。二人は
もうすっかり明るくなった廊下を並んで歩いた。窓から差し込む光に照らされると、ハーマイオ
ニーのパジャマが胸の辺りにこびりついた血が乾いて、どす黒くなっているのが分かった。
「ハーマイオニー」
ハリーは黙っているのが耐えられなくなって言った。
「きみも見ただろう、ロンの…」
「その話は後にしましょう」
ハーマイオニーは首を振り、ぼさぼさの髪の毛を顔の周りからどける仕草をした。
「今は分霊箱とウィンキーを探すのが先よ。でも私達、どこから調べたらいいのかしら」
「やっぱり必要の部屋かな」
ハリーはむしろ、ハーマイオニーと二人きりでロンの話をしなくてすむことにほっとした。起床
時間まではあと数分だった。起きだした生徒たちと鉢合わせして、余計な質問をされたりしない
内にと、二人は急ぎ足で、必要の部屋の前まで来た。
トロールにバレエを教えるタペストリーの前を、ハリーは分霊箱を見つけたい、と念じて何度
も行き来した。しかしタペストリーに面した壁はいつまでたっても固い壁のままで、扉は現れな
かった。
「誰かが中にいるのかも」
ハーマイオニーが緊張した声で言った。廊下の端から、生徒たちがおしゃべりしながらこちら
へ向かってくる物音が聞こえる。ハリーは焦って、念じる内容を変えてみた。
(分霊箱の手がかりでもいい。分霊箱の手がかりが必要だ…分霊箱の手がかりが必要だ)
「ハリー!」
急にハーマイオニーがハリーの腕を掴んだ。目の前に、見知った扉が現れていた。
「急げ!」
廊下のざわめきはますます大きくなっていた。誰かが曲がり角でちょっとこちらを覗き込んだ
りしたら、すぐに見つかってしまうだろう。ハリーはハーマイオニーの手を取ると、必要の部屋に
飛び込んだ。
部屋の中は、ハリーが最後に魔法薬学の教科書を隠すために入った時と同じ状態だった。
天井の高い大聖堂のような場所に、無数の家具が山のように積み上げられ、折り重なった壁
を作り上げている。無造作に置かれた瓶や剥製やたくさんの本の周りでは、相変わらず羽の
生えたパチンコや噛み
つきフリスビーなどが、ふわふわと所在無げに浮かんでいた。
「どこから探そう?」
「それよりも私達、何を探したらいいの?」
ハーマイオニーの言うことはもっともだった。ハッフルパフのカップなら憂いの篩の中で見たこ
とがあるが、レイブンクローの持ち物に至ってはそれが何なのかさえ、ハリーはまだ知らなかっ
た。
「せめてレイブンクローが遺したものを知ることができたら…」
ハーマイオニーが口に出して言った途端、すぐ近くにあった小さな飾り机の上に、分厚い古そ
うな本が現れた。ハーマイオニーはちょっと驚いたようだったが、すぐにここが必要の部屋だっ
たことを思い出して、革の表紙をめくった。ハリーも大急ぎで覗き込んだ。
黄ばんだ羊皮紙の上の文字は、印刷されたものではなく、一字一字羽ペンで書きこまれたも
ののようだった。ところどころ掠れて読めなくなっている部分もある。どれも見たこともない文字
で、ハリーにはさっぱり分からなかった。しかし、ハーマイオニーが羊皮紙をめくっていくと、ホ
グワーツを上から見て描いた絵や、どこかの教室の設計図のようなものが貼り付けられてい
て、さらに走り書きのメモが加えられている。本というより、ハーマイオニーの授業用ノートみた
いだとハリーは思った。
「これはルーン文字で書かれているわ。でも、授業で習ったのよりもっと古い時代のものみた
い」
グリフィンドール塔の螺旋階段の絵に書き込まれた文字を目で追っていたハーマイオニー
が、眉を寄せて言った。
「うーん、読めないことはないと思うけど、辞書と時間が必要だわ」
ハーマイオニーが答えるや否や、今度は机の上に古代ルーン文字の辞書と懐中時計が現
れたので、ハーマイオニーは早速床の上に座り込んで、膝の上に辞書を広げた。
「ちょっと見てもいいかな?」
ハーマイオニーでも苦戦するものが、自分に読めるはずはないと分かっていたが、ハリーは
どうしても気になって、分厚い本に触ってみた。ごわごわとした革の表紙には、題名らしきもの
は書かれていなかった。裏表紙から伝わる手触りに不思議なものを感じて、ハリーは本を裏返
してみた。革の表面に、何か模様のようなものがうっすらと浮かんで見える気がする。ハリーは
目を凝らしてその模様を確かめようとした。
「ハーマイオニー」
興奮に掠れた声で呼ぶと、ハーマイオニーはようやく時代ごとの古代ルーン文字の変遷を記
したページから目を上げた。
ハリーは無言で裏表紙を掲げて見せた。長い年月を経て、ほとんど消えかかってはいたが、
本の中央を縦と横に走った型押しの線が、裏表紙全体を四つに分けているのが分かった。そ
の4つに分けられた場所にそれぞれ、何かの模様が刻まれた跡が、影のように浮かび上がっ
ている。
「これは間違いなくカップだろう」
右下のトロフィーに近い形の刻印を指さすと、ハーマイオニーは額がくっつきそうになるほど
革の表紙に目を近づけた。
「それからこっちがロケット」
カップの隣、左下の部分には、楕円形の影に寄り添うように、曲線が描かれていた。
「この線は鎖を表していると思うんだ。それからこれが剣」
本の上段には、左右どちらにも棒のような影が見えた。しかし、よく見ると右側の方には剣の
鍔らしいものがある。
「ハッフルパフのカップ、スリザリンのロケット、グリフィンドールの剣」
ハーマイオニーが確かめるように呟いた。
「これがホグワーツの四人の創始者たちの持ち物を表しているとしたら、残りはこれだよ」
左上の棒を示して、ハリーは断言した。
「だけどこれはなんだろう。杖みたいだけど」
「笏ではないかしら」
「しゃく?」
「昔の王様が持っているような大きな杖のことよ。先の方に丸い物がついているでしょう? 飾
りの宝石だと思うわ」
革表紙をよく見ると、たしかにハーマイオニーの言うとおり、左上の影は右上の剣の影より一
回り大きく、装飾的に思えた。
「それじゃあ僕たちは、ハッフルパフのカップかレイブンクローの笏を探せばいいってことだ」
ハリーは思わず歓声を上げそうになった。しかしハーマイオニーはまだ眉をひそめたまま、本
と辞書を交互に見ていた。
「だけどこれ、少し変だわ」
ハーマイオニーが呟くと、彼女の愛読書『ホグワーツの歴史』が音もなく現れた。ハーマイオ
ニーはすぐにページをめくると、何百ページもある中から目的の箇所を見つけ出した。
「見てよハリー、これがホグワーツの校章よ。右上から時計回りにスリザリン、レイブンクロー、
ハッフルパフ、グリフィンドールの順番で並んでいるでしょう? でもこの本の順番では、剣、カ
ップ、ロケット、杖になっているの」
ハリーは少し混乱しながら、『眠れるドラゴンをくすぐるなかれ』と書かれた校章と、革の裏表
紙を見比べた。ハーマイオニーの言うとおり、四つに分けられた校章の寮の位置と、革表紙に
押された陰影の位置は確かにどれも違っている。
「だけどカップとロケットに剣だよ、ハーマイオニー。これは絶対にホグワーツの創始者たちの
持ち物を表した図だ」
「それじゃ寮の位置は無視しろっていうの?」
納得いかない様子のハーマイオニーに、なんと言おうか迷っているところに、必要の部屋のド
アを開けてジニーが入ってきた。
「ハーイ。お邪魔しちゃったかしら」
ジニーは快活なで、ハリーにバスケットを差し出した。
「朝食よ。大広間にいなかったから、たぶんここだと思ったの。二人とも朝食来なくて正解だっ
たわね。質問攻めにされてかぼちゃジュースも飲めないところだったわ」
「きみは大丈夫だったの?」
ハリーは燃えるように赤い髪を見つめ、心が落ち着かなくなるのを感じた。ジニーの髪の毛
は否応無しに、ここにいないロンのことを思い出させたからだ。
「なーんにも知らないで通してきた。みんなよりロンの方がやっかいだったわ。何があったんだ
ってしつこく聞いてくるの、私に。うっとおしいから逃げてきちゃった」
「ロンにもマルフォイのことはしゃべらなかったのね?」
ハーマイオニーが鋭く聞いた。ジニーは頷いて答えた。
「だってなんだかロンの様子、おかしかったんだもの。先生に口止めされるまでもなく、話す気
になれなかったのよ」
ジニーは言いにくいことをアッサリ言ってのけた。
「知りたいならハリーかハーマイオニーに直接聞いてって言っておいたわ。ロンは私を追いか
けようとしたんだけど、途中でラベンダーに捕まっちゃったの。あの人、ロンがハリーと冒険して
きたって知って、またロンに興味を持ったみたい」
ハリーは、今回ばかりはラベンダーに感謝の念すら抱いた。
「どうしましょうハリー。ロンはきっと私たちを探そうと思ったら、最初にこの必要の部屋へ来る
わ」
「ここを出よう」
ハーマイオニーは慌てて『ホグワーツの歴史』と古びた革表紙の本、それに古代ルーン文字
の辞書を抱えあげた。ハリーはバスケットを持って立ち上がり、飾り机にぶつかってしまった。
ハーマイオニーが目もくれなかった懐中時計が転がり落ちたので、ハリーはそれを拾い上げて
パジャマの胸ポケットに突っ込んだ。
「私にも手伝えることはある?」
ジニーの言葉に二人は動きを止めた。ハリーはちらりとハーマイオニーに視線を送った。ジ
ニーの申し出はありがたかったが、たとえジニーであっても、分霊箱について打ち明け、危険
を共有する仲間をこれ以上増やすのは気が進まなかった。
「ウィンキーを探してもらえないかしら」
ハーマイオニーが言った。ジニーは不思議そうに片眉を上げたが、分かったと言って、先に
部屋を出て行った。
ハリーとハーマイオニーも続いて部屋を飛び出した。必要の部屋の扉はたちまち壁に吸い込
まれて、見えなくなってしまった。その時、廊下の端からロンの怒鳴り声が響いた。

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