選択 The Choice
ハリーは校長室の真ん中でしっかりと組分け帽子を握り締め、グリフィンドールの剣を手にし
たマルフォイの横に立っていた。
「分かった」
組分け帽子を元の棚に戻し、ハリーは勢いよく言った。何ヶ月も続いた霧が突然晴れ、すっ
きりと視界が開けて、道筋を明確に示されたかのように、爽快な気分だった。
「分かったよ、マルフォイ。この剣は元々スリザリンの持ち物だったんだ。彼が友情のしるしに
グリフィンドールへ贈ったんだ」
「なんだって?」
マルフォイはぽかんと口を開け、次に心配そうな顔になった。「頭でも打ったのか?」
「スリザリンがグリフィンドールに贈ったんだ」ハリーは繰り返した。「ハッフルパフはスリザリン
にロケットを渡していた。つまり僕たちが壊したスリザリンのロケットは――スリザリンの秘宝だ
と信じられていたあのロケットは、本当はハッフルパフの物だったんだ」
ハリーはマルフォイを無視して、一人で呟きながら校長室を大股で歩き回った。
「ヴォルデモートはグリフィンドールの剣が元々はスリザリンの物だと知っていたんだ。だから
赤ん坊だった僕を殺そうとした時、グリフィンドールの剣を最後の、最も強力な分霊箱にしよう
と…あの本!」
必要の部屋で見つけた古い革表紙の本を思い出し、ハリーは叫んだ。ヴォルデモートはホグ
ワーツにいた頃、あの古い本を見つけ出して創始者たちの秘宝のルートを探り当てたのかもし
れない。
ハリーは以前、この部屋でダンブルドアに教えられたことを一つ残らず思い出そうとした。ヴ
ォルデモートは特に重大な人物の死まで、分霊箱を作るのを延期していたとダンブルドアは言
った。つまりハリーのことだ。しかしヴォルデモートは結局、ハリーを殺してグリフィンドールの剣
で分霊箱を作る前に、ナギニを最後の分霊箱にしてしまった。だが、たしかダンブルドアは「そ
れ自身が考えたり動いたりできるものに、魂の一部を預けるのは、当然危険を伴う」とも言って
いた。ヴォルデモートは自分の魂を永遠に、寿命ある生き物であるナギニに預けるつもりはな
いのではないか?
憂いの篩の中で聞いた、ダンブルドアの言葉が蘇った。『ヴォルデモートは必ず帰ってくる。
そしてその時には、あやつが持つにもっとも相応しいこの剣を用いて、今度こそハリー・ポッタ
ーの命を奪おうとするじゃろう』
「ヴォルデモートは僕の命とこの剣を、一組のものとして欲しがっている」
ハリーはマルフォイが携えたままの剣を見つめた。創始者たちが校長室の真下の草地で、ホ
グワーツ創立の儀式を行った時から千年以上の時が流れているにも関わらず、銀色の剣には
錆一つなく、その後ゴドリック・グリフィンドールの手によって追加されたに違いないルビーの飾
りも一緒になって、輝きを保っていた。
「どちらかでは駄目なんだ。あいつの最大の目標は不死だ。赤ん坊だった僕に半死半生の目
に逢わされてから、あいつの不死への憧れや、自分が行ってきた実験への自信はますます強
くなったに決まっている。最も強い分霊箱を作るために、あいつは僕とこの剣両方が欲しいん
だ」
ハリーは当惑気味のマルフォイに構わず、自分自身に言い聞かせるつもりで言った。
「望むところだ。僕がこの剣を持っていることを知れば、あいつは必ずやって来る。手下じゃ駄
目だ、ヴォルデモート自身の手で僕を殺さなくちゃいけないんだから…そうなったら僕は直接ヴ
ォルデモートと対決することができる」
それまで黙って聞いていたマルフォイが、声を荒げた。
「無茶だ!」
「そんなことは分かっている。今はまだ駄目だ。残りの分霊箱を全部破壊して、最後にあいつを
誘き出す時に…」
「自分を囮にする気か? 危険すぎる。それに『分霊箱』って何だ?」
ハリーは興奮のあまり、ついマルフォイの前で口を滑らせてしまったことに気が付いた。
「んー…その、武器みたいなものだよ」
マルフォイが疑わしげな目を向けるので、ハリーは用が済んだのだから早く病棟に戻ろうと、
マルフォイを急かした。
動く螺旋階段を降りて校長室のドアを開けた途端、廊下を歩いてくるジニーと出くわした。ハ
リーが咄嗟に後ろ手に扉を閉めてしまったので、後からついてきたマルフォイは校長室に閉じ
込められるはめになった。
「ハリー、こんなところで何をしているの!」
ジニーはハリーが持っているグリフィンドールの剣を見て、目を丸くした。
「ちょっと調べ物をしていたんだ」
ハリーは取り繕いながら、相手がジニーで良かったと思った。
「きみの方こそ、どうしたの?」
「ロンがまだ私から話を聞きだそうとするのを諦めてくれないから、逃げ回っているところ。さっ
きなんてどこも怪我してないのに医務室に行くって言い出して聞かなかったのよ」ジニーが声を
潜めた。
「マルフォイの具合はどう?」
ハリーは一瞬迷ったが、すぐに答えた。
「まだ、相変わらず寝ているよ」
嘘をつくのは良心が咎めたが、証拠があるわけでもないのにジニーに向かって、ロンが怪し
いなどとは口が裂けても言えるはずがなかった。ジニーを信用したいのは山々だが、ロンが情
報源の狙いをジニーに定めているらしいことを考えると、迂闊なことはしゃべれないとハリーは
判断した。
「そうだ、ハリー。忘れない内にマクゴナガルからの伝言を伝えておくわ。ホグワーツ特急の発
車時刻は明日の九時ですって」
ハリーはまじまじとジニーを見つめた。「何だって?」
「私、荷物の整理をしなくちゃいけないから寮に戻るわ。あなたたちも今夜中に用意をしておい
た方がいいわよ」
ジニーは頭を振って行ってしまった。
遠ざかる後姿を見送り、ハリーは天井を仰いだ。ハッフルパフのカップは持ち去られたとはい
え、まだホグワーツに残っている可能性が限りなく高いというのに、マクゴナガル先生が決めた
時間制限に阻まれるなど、考えもしなかった。
突然、背中の壁を中からどんどんと叩く音がして、ハリーは我に返った。マルフォイを閉じ込
めていたことをすっかり忘れていた。慌てて扉を開け、来たときと同じように二人で透明マント
をかぶったが、いつの間にかお昼を通り越し、放課後になろうという時刻にも関わらず、ホグワ
ーツの廊下は妙に静まり返っていて、ジニーの他は誰にも会わなかった。みんな自分の部屋
に閉じこもり、荷造りをしているのかもしれない。
病棟のドアを細く開け、マダム・ポンフリーが入り口に背中を向けて作業していることを確か
めてから、二人は足音を忍ばせ、一つだけカーテンで仕切られたベッドの方へ移動した。
「お帰りなさい、上手くいった?」
ベッドにはすでに変身が解け、すっかり着替え終わったハーマイオニーが腰掛けていた。話
したいことは山のようにあったが、耳塞ぎの呪文を一回解いてしまっていたし、三階まで往復し
たマルフォイが相当疲弊していたので、ハリーとハーマイオニーはひとまず病棟を退却すること
にした。
「ここならいいんじゃないかしら」
ハーマイオニーが提案した次の隠れ場所は、なんと秘密の部屋の入り口がある、三階の女
子トイレだった。嘆きのマートルが浴場に出かけているのを忍びの地図で確認して、二人はトイ
レのドアを開けた。
「さあ、話して頂戴」
ハリーは憂いの篩と組分け帽子が見せてくれた記憶について、かいつまんで説明した。「つま
り、ヴォルデモートは僕を殺す時には、同時にグリフィンドールの剣も持っていなくちゃいけない
んだ」
「それでその剣を持ってきたのね」
ハーマイオニーが畏怖の念を込めて、グリフィンドールの剣を見つめた。
「まあね。校長室に置きっぱなしにしておくよりも、手元にあった方が安心だろ? それで、きみ
の方はどうだったの?」
「こっちは全然問題なしだったわ。あなたたちがいなくなってすぐにロンとジニーが来たんだけ
ど、入り口のところで騒いでいたらマダムが飛んでいったの。ロンは箒から落ちたとか、レタス
食い虫に噛み付かれたとか色々言っていたけど、結局マダムに追い払われてしまったわ」
ハリーは安心すると同時に、少しがっかりしていた。
「それじゃ収穫なしか」
「そうね。途中で一度だけマダムがカーテンを開けて覗き込んだけど、寝たふりをしていたおか
げでばれずに済んだわ」
ハーマイオニーは言った。
「問題はこれからどうするかよ。私たちがホグワーツにいられる時間はほとんどないわ。さっき
医務室でマクゴナガル先生とマダム・ポンフリーがお話していたけど、明日の朝には私たち―
―」
「さっきジニーに聞いたよ」
ハリーは最後まで聞きたくもなかった。分霊箱を手に入れるチャンスを逃すのが悔しいのと
同じくらい、ハリーはホグワーツを離れること自体が純粋に辛かった。先学期の終わりに学校
へ戻らないと決めたものの、いざ戻ってみればダンブルドアが不在で、不穏な事件が続く一昼
夜にあってなお、ホグワーツはこの上もなく温かで、安心できる場所に変わりなかった。やはり
ハリーにとってホグワーツは、グリモールドプレイス十二番地の屋敷や幼い頃住んだゴドリック
の谷より、ましてプリベット通りの家などより、はるかに寛げる最高の我が家であった。
「仮に僕らが明日の朝ホグワーツを去るとして、どうなるんだ? このままじゃ、いままで通りに
三人で旅を続けるってわけにはいかない」
「私はあなたについていくわ」
ハーマイオニーがきっぱりと言った。ハリーはハーマイオニーの申し出に胸が熱くなったが、
このままロンのこと放っておくわけにはいかないと思った。
「操られている、という可能性はないかな」
ハリーの問いかけに、ハーマイオニーが首を振った。
「私も考えてみたわ。でも、少なくとも私が見るかぎり、彼に服従の呪文の兆候は見られない
わ」
ハーマイオニーはロンの名前をハリー同様、さり気なく避けていた。ハリーは言った。
「今夜が勝負になると思う。明日になれば僕たちだけじゃなく、全員がホグワーツを出て行かな
ければならない。マルフォイを襲い、ハッフルパフのカップを奪っていった奴は必ず、ホグワー
ツを追い出される前にグリフィンドールの剣も手に入れようと思うんじゃないかな。そうすれば
ヴォルデモートからもらう勲章が一つ増える。それに、マルフォイのこともある。マルフォイがす
でに目を覚まし、ホグワーツへやって来た目的を果たしていると知っているのは僕たちだけだ」
ハーマイオニーはしばらく考え込んでから、言葉を選んで慎重に答えた。
「もし犯人が本気でグリフィンドールの剣が欲しいと思ったら、校長室に行くわね。相手はあな
たがその剣を持ち出してしまったことを知らないんだから」
「あるいは、マルフォイの口を塞ぐために医務室に行くかだ」
「とにかく狙いはこの剣とマルフォイのどちらかよ」ハーマイオニーが言った。「私たち、今晩見
張りをしてみるべきだと思う?」
「それしかないと思う」ハリーは頷いた。「もし今夜何も起こらなかったら、明日ホグワーツ特急
に乗り込む前にトランクの中身を総点検してハッフルパフのカップを見つけるしかない」
二人はどちらからともなく忍びの地図を覗き込んだ。ロンは寮の部屋を動き回り、ちょうど荷
物の整理をしているところのようだった。
「僕が透明マントを着て、校長室の前を見張るよ」
「私も一緒にやるわ」
「いや、きみはこの剣と忍びの地図を預かってくれ。まさか剣が女子寮にあるなんて、誰も考え
ないだろう? 地図を見て、何か動きがあったら僕に知らせてほしい。そうだ、DAの金貨を連
絡手段に使えばいい」
「でもガリオン金貨でできることは限られているわ。私ができるのは金貨の表面の数字を変え
ることだけよ」
「じゃあこうしよう」
ハリーは提案した。
「校長室の前を固めた方がよければ表、医務室へ行った方がよければ裏側の数字を変えるん
だ」
「分かったわ」
ハーマイオニーは頷き、忍びの地図とグリフィンドールの剣を受け取った。剣を持つハーマイ
オニーの手は、少し震えていた。
「でもハリー、張り込みを始める前に、何かお腹に入れておいた方がいいんじゃないかしら?」
これにはハリーも大賛成だった。二人は厨房に移動し、夕食の準備中の屋敷しもべ妖精た
ちから手厚い歓待を受けた。
はちきれんばかりに詰め込んだ上、食後のデザートまでたっぷり手土産に持たされ、ハリー
とハーマイオニーは夕食時で閑散としているグリフィンドールの談話室に戻った。
「必要な物は全部持った?」
ハーマイオニーが心配そうに何度も尋ねた。
「全部この鞄に入っているよ。いざという時はこいつ一つあればどこへでも行ける。きみの方こ
そ気をつけて。深入りは禁物だよ。ちょっとでも危険だと思ったらすぐに助けを呼ぶんだ」
「ええ。でもラベンダーの目の前で堂々と忍びの地図を開くわけにもいかないから、今夜は誰も
使ってない下級生の寝室を借りることにするわ」
ハリーはなるべく緊張を見せまいとしたが、なかなかうまくいかなかった。強張った表情で二
人は互いの無事を祈り、自分の持ち場へ移動した。
透明マントに包まり、ハリーは廊下を早足で歩いていった。窓から差し込む黄昏の光は、談
話室から校長室に辿り着くまでの間に、急速に濃い夕闇へと変化していった。
「さあ、やるぞ」
ハリーは一人呟き、校長室の扉の真正面の壁に背中を預けて座り込んだ。ポケットから懐中
時計を取り出して時間を確認すると、ハーマイオニーからの連絡があったらすぐ分かるように、
ガリオン金貨を左手に握り締めた。校長室の前の廊下はしんと静寂を保ち、生徒はおろかゴ
ースト一人訪れる気配もなかった。
これまでに何度か経験してきたが、起こるかどうかも分からないことを一人でじっと待つという
のは、とても退屈なものだった。最初の内は体中を縛っていた緊張は少しずつ解け、代わりに
猛烈な眠気が忍び寄ってくるのをどうすることもできなかった。
ハリーは声を出さずに大欠伸すると、体からずり落ちそうになった透明マントを直し、膝を抱
えた。

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