罪の色の花を摘み取って、雪の下に埋めてしまおう。
誰にも見つからないように―――真っ白な雪の下に。
それが出来る唯一の人は誰なのか……僕は良く知っている。
その傷さえも
「すぐに授業計画を作らなきゃ!」
ハーマイオニーの悲痛な叫び声が、消灯時間をとっくに過ぎたグリフィンドールの談話室に響
いた。
「あの性悪女、どうやったってハグリットに言いがかりを付けるつもりだわ。そんなこと絶対させ
ないから! あなたたちも今度の授業では隙を見せちゃダメよ!!」
冷たい夜気に凍ってしまった髪の毛を振り乱してキッと振り返る視線の先には、くたびれきっ
た様子のハリーとロンがいる。
ハリーは透明マントの裾に付いた雪を払いながらため息をついた。
「そりゃ分かってるけどさ。僕らが隙を見せる前にハグリットの……あー…『教材』が誰かの頭
を食い千切ったら?」
ほとんど灰になって燻っていた暖炉の焚き木が、タイミングよく音を立てて崩れたのが妙に不
吉だった。
新学期が始まって二ヶ月も姿を見せなかったハグリットがやっと帰ってきたのは嬉しかった
が、ただでさえやるべきことや考えなくてはならないことが山済みの今、新たな、それも最大級
の悩みごとが降って湧いたというのは決して歓迎できなかった。
「でも運が良ければ教材のヤツはアンブリッジの頭に喰らい付いてくれるかもしれないぜ」
ロンの言葉にハリーは力なく笑ったが、ハーマイオニーは真面目な顔で「そうね」と答えた。
「冗談よ。どんなモンスターでもあんなガマガエルを食べたがるはずがないわ。ともかくハリー、
火曜日の授業だけは我慢してね。どんな挑発にも乗っちゃダメよ」
一つ一つの言葉に力を込めて真剣そのものに訴えるハーマイオニーに、なんで自分だけが、
と言いかけてハリーは口を閉じた。
ハーマイオニーの忠告に従わずこれまでに何度もアンブリッジの罰則を受けたのは事実だし
―――そうでなくとも今日のクィディッチの試合で子供じみた挑発に乗ってしまったことを、ひそ
かに後悔していたばかりだ。
チームのメンバーやハーマイオニーの手前、マルフォイに殴りかかったことを悔いているなど
という素振りは絶対に見せまいと思っていたけれど、一瞬の爽快に対する代償はあまりにも大
きかった。
箒を取り上げられ、空を飛べなくさせられた。そのことを思い出したとたん、忘れかけていた
憂鬱が再び心を重くした。
ロンがそっと自分の表情を伺うのが分かったが、結局ハリーは尚も自分を見つめ続けるハー
マイオニーに「オーケー」と呟いただけだった。
「僕が殴れば良かったんだ」
男子寮の螺旋階段を上がりながらぽつりとロンが言ったのも、聞こえなかったふりでやり過
ごす。
実際にマルフォイを叩きのめしたのがロンだったなら―――ロンが一人でやったならマクゴ
ナガルや他の教員たちだって、たとえ先に手を出したのがこちらだったにしても、もう少し同情
的になってくれたかもしれない。誰の目から見てもあの場合、原因を作ったのはマルフォイ自
身だったのだから。
それにアンブリッジにクィディッチを禁止されたとしても、それがロンだけだったなら……そこ
まで考えてつくづく嫌な気分になった。マルフォイやアンブリッジに対してではなく、そんなことを
想像してしまう自分に対して。
そっと寝室のドアを開けると、ネビルたち三人はすっかり夢の中のようだった。
「おやすみ」
何も言わないまま潜り込んだベッドのカーテンを閉める前に、小さく囁いて手を振ったらロン
は少しだけ嬉しそうに手を振り返してくれた。
ごろりと仰向けになって薄暗い天蓋を見上げると、不意に『ウィーズリーはわが王者』のメロ
ディーが頭の中に鳴りだした。
ナンセンスなくせに、変に耳に残る……作曲者と同じでイライラさせられる歌だ。
ハリーは舌打ちすると、手探りで杖を手繰り寄せそれを振った。ルーモスの呪文とともに、天
蓋に囲われた自分の領域がはっきりと照らし出される。
心身ともに疲れきっているにもかかわらず、目はやたらと冴えている。すぐには眠れそうもな
いと悟り、サイドテーブルに積まれた本や雑誌に手を伸ばした。
ふと、重なった本の合間から忍びの地図がはみ出しているのに気付き、折れてしまうのを気
にして取り出した。羊皮紙には図書館で借りてきた本の重みで軽く線がついてしまっていたが、
二、三度撫でてやっただけで跡は消え、すぐにもとの滑らかな状態に戻る。
そういえばアンブリッジはまたハグリットの周りを嗅ぎまわったりしていないだろうか、とハリー
は杖で地図の表面を軽く叩いた。
たちまち浮かび上がるホグワーツ内部の数多くの部屋の中から、ハリーはすぐにアンブリッ
ジの部屋を見つけ出した。なにしろ罰則で何度となく呼び出された憎らしい場所だ。
ドローレス・アンブリッジという小さな点は、確かに自分の部屋にいた。なんとなく彼女を示す
文字だけがやたらとクネクネしている気がして、ハリーは人差し指で点を小突いた。
念のためハグリットの点も確認すると、なんと夜の森の真っ只中をうろついている。教材研究
だか新種モンスターの飼育だか知らないが、あれだけの怪我をして、アンブリッジから見張ら
れているのもよく分かっているはずなのに、これ以上何をするつもりなのだろう。
やれやれと首を振り、明日のハーマイオニーの健闘を祈りつつ地図をしまおうとした時だっ
た。
「え?」
無意識に目を走らせたアンブリッジの部屋に、彼女のほかにもう一つ点がある。時計を見る
と夜中の一時過ぎだ。その小さな点に書かれた名前を読んだハリーはもう一度驚きの声を上
げそうになった。
―――『ドラコ・マルフォイ』……?
一番最初に思いついたのはマルフォイがまた何かアンブリッジに告げ口でもしているんだろう
か、ということだった。あるいは二人でグリフィンドールを貶める新しい悪巧みでもしているの
か。しかし、それにしてもこんな時間に? 普通なら夜中に生徒がベッドを抜け出すだけでも、
相当な減点ものだ。
食い入るように地図を見つめるハリーの前で、マルフォイは軽く挨拶でもしているのかドアの
近くで一度立ち止まって、それから部屋を後にした。そして特に急ぐ様子でもなくゆっくりと廊下
を進む。
きっといつも通り、全てのものが自分のためにあると言わんばかりに肩をそびやかして歩い
ているのだろう。目に見えるようだった。入学式その日からの天敵はそういう風にして毎日飽き
もせず、ハリーの視界を横切っていく。
それはハリーにとってダドリーと同じ、決して慣れることのない煩わしくも鬱陶しい存在でしか
なかったが、マルフォイとダドリーには一つだけ違うところがあった。
いつのころからか忘れてしまったが、マルフォイが自分に突っかかってくるときに、いつも何
かしらの違和感を覚えることにハリーは気付いた。無視していればいい、気にかけなければい
いと思いながらも耐え切れずに振り向くと、マルフォイから何か―――その瞬間に相応しくない
『何か』を感じ取る。
それを感じられるのはいつもほんの一瞬で、不思議な感覚に戸惑った次の瞬間には、あとか
たもなく消え去ってしまっている。だからハリーはいつまでたってもその違和感の正体が何なの
か、知ることができずにいた。
その何か……不思議な感覚がここのところ特に強くなってきたように思えるのは、単に周囲
で次々と起こる不愉快な出来事に神経がささくれ立ち、ハリーの自意識が敏感になっているせ
いだろうか。
他に動くものが何もない廊下を歩む点を見ているうち、心の片隅でずっと抱いていたおぼろ
げな疑問が、不意に明確な形を持って膨らんできた気がした。
そっと目を閉じると瞼の裏に浮かぶのは、常よりいっそう白い―――ハリーが振り上げた拳
を腹部にめり込ませた瞬間のマルフォイの貌だ。
あのときハリーは真直ぐに視線を合わせた彼からこれまでになくはっきりと『何か』を感じた。
掴みかかられるのを避けようともしなかったマルフォイの表情は、怒りとか怯えとかではない
不思議なもので、彼に対する苛立ちを微かに揺らがせた。
きっとそのせいなのだ。
激情に任せてマルフォイを殴りつけた行為そのものに対して、少しでも胸が痛むのは。
散々挑発しておいてあんな貌をしてみせるなんて。
目を開けると小さな黒い点は、地下へ向かう階段を降りていくところだった。

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