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還るべき場所を見つけた
光に満ちた、温かなその場所
そこで交わした約束を、僕はあの時、果たせなかった
ずいぶん遅れてしまったけれど、まだ間に合うだろうか
手遅れにならないうちに、どうか
音の狂ったオルゴールが鳴らす、その鎮魂歌を僕のために――――
その傷さえも 鎮魂歌(レクイエム)
無機質なコンクリートに四方を囲まれた殺風景な室内に、ドラコは一人通された。
大きな木製の机を挟んで、椅子が二つあるだけの空間。その中で唯一興味を引かれたの
は、鉄格子の嵌められた窓だった。
窓の向こうには一ヶ月ぶりに目にする青空が広がっている。抵抗らしい抵抗もできないまま、
魔法省に捕えられ、アズカバンへと護送される最中に垣間見たきりだ。荒れ狂う鉛色の海に囲
まれたアズカバンでドラコが与えられたのは、陽の一切差し込まない地下の独房だった。ドラコ
は吸い込まれるように明るい夏の空を眺めた。
ロンドンには珍しく、すっきりと晴れ渡った青空の下を白い雲がゆっくりと流れていく。まだ昇
りきっていない太陽の日差しは穏やかで、けれどとても温かそうな色をしているように思えた。
「199777631」
背後でドアが開く音が聞こえ、『名前』を呼ばれて振り向く。
グレーの髪を後ろへ撫で付けた猫背の男が、書類を机の上へ几帳面に置きながら、椅子に
腰掛けるよう手で示した。彼の赤紫のローブの左胸には、ウィゼンガモットを示すWのエンブレ
ムが銀糸で縫い取られている。
「公判は十三時より開始される。第十号法廷だ。君はこれから二時間後に魔法省に移動し、法
廷の控え室で開廷を待つことになる」
差し出された羊皮紙に、ドラコは何の感情も関心も起こらなかった。相手もドラコの反応を期
待していたわけではないらしい。男は肩をすくめると先を続けた。
「君が希望するのならば、だが」
意味ありげな言い方で、ここから先が本題だと暗に示される。羊皮紙に書かれた、第十号法
廷の文字をじっと見つめるふりをしたまま、ドラコは顔を上げなかった。
「主な容疑は二つの殺人未遂と、一つの殺し」
抑揚のない声が、ゆっくりと、知らしめるように呟く。
「それだけだ」
あまりに気楽な言い方に、思わず伏せていた顔を上げそうになる。それを寸前で留まり、ドラ
コは膝の上に載せてた手を持ち上げ、自分の首へ触れた。飾り気のないシャツの襟元に、不
自然に重い感触。一見シンプルなチョーカーのようにも見えるそれは、ドラコ自身の力では決し
て外す事のできない首枷だった。
留め金を兼ねた銀のプレート部に指を這わせると、そこに微かな凹凸を感じる。199777631
―――捕えられた罪人にそれぞれの名前なんて必要ない。罪の重さに関わらず、ただ罪の有
無によってのみ、鉄格子の内側と外側に分類されるだけだ。内側に分けられた者たちは全て
を奪われる。自由だけではなく、あらゆるものに対する所有権も、自分自身に対する所有権す
ら。失った名前の代わりに識別のために与えられたのは機械的に割り振られた数字の羅列。
けれどドラコはその状態を理不尽だとは感じていなかった。
それだけのことを、した。
償いが必要なだけのことを。
暗い独房の床の上で、膝を抱えたまま無為に時間が過ぎていく間、ドラコは何度となく首枷の
数字を指で辿った。そうやって、自分の罪が形として眼前に突きつけられるのは、むしろ喜ん
でいい事のように思えた。支払うべき代償が見えるのなら、それに立ち向かうこともできる。
恐れるべきは、償いの方法が分からない…あるいは償う方法など存在しない罪を犯してしま
うことだ。
「秩序と規律を司る魔法省としてはおおっぴらに例外を認めるわけにはいかない。特に『あれ』
に関することは―――しかし君は特別だ」
闇の陣営に走ったからとはいえ、当時はまだ未成年だった。先に挙げた三つの罪を犯したと
きも。男の口調はほんの少し柔らかさを増したように思えた。
「法廷で裁きを受けることになれば、アズカバンへの逆戻りは免れないだろう。すでに刑の確定
した連中と比較しても、良くて終身刑……何しろ殺人未遂の方はともかく、殺しの相手がダンブ
ルドアとあっては」
その名前を聞いた瞬間、きゅっと胃の腑を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚に陥った。
首枷に添えられた指先が、小刻みに震えているのが分かる。
「ダンブルドア殺害の主犯については、君ではなかったという情報も、こちらはもちろん掴んで
いる。しかし現場に居合わせたとされる人物はすでに死亡しているか、行方不明のまま―――
もっとも、逆に言えば君がダンブルドアを殺害したという証拠もないことになるが、重要なのは
証拠よりも心証だ」
男はいったん言葉を切り、ドラコの様子を窺うような目つきで見た。
そう、証拠はない。
ドラコがあの夜、ダンブルドアを殺したという証拠なんてあるはずもない。実際にドラコは、誰
一人として殺さなかったのだから。
『走れ、ドラコ!』
黒いローブを翻し、ドラコをかばうようにして『彼』との間に立ちふさがった、必死に自分を護
ろうとしてくれた恩師の声が耳元に蘇る。
スネイプは今、どこにいるんだろう。
さっき男が言った内容が正しければ、どこかでまだ生き延びて、魔法省の手から逃れている
のか……そうでなければ―――。
(先生……どうか)
どうか、生きていて欲しい、と届かぬ祈りを捧げた。ドラコはまだスネイプに、何も返せていな
い。感謝も、愛情も、命も。ドラコの知らないところで、スネイプを一人、逝かせてしまっていた
のだとしたら、それこそ償いきれない罪を犯してしまったことになる。
「ダンブルドアは非常に尊敬された人物だった。彼の死の報せは、我々を恐怖と絶望に突き落
とした。そしてダンブルドアに対する敬愛はそのまま、彼を死の淵に追いやった者に対する憎
しみとなっている」
ダンブルドアは偉大な魔法使いだった。そんなこと、ドラコだって十分に知っている。けれど彼
は死んだ。
そして、直接の手を下せなかったにしても、ドラコがいなければ彼が死ぬ事はなかった。
人々はダンブルドアをこの世から葬り去ってしまったドラコを、決して許しはしないだろう。
裁判なんて茶番だ。始まる前から『有罪』の判決は下されている。顔の見えない、魔法省がも
しかしたら闇の帝王以上に恐れている、大衆という存在によって。
それでも、受け入れようと思った。たとえ罪状が真実と異なっていたにしても、ドラコがたくさん
の罪を犯したことに変わりはないのだから。
「しかしある人物が、君をウィゼンガモットで裁くというのは…あまりいいやり方ではないので
は、と申し入れてきてね。なんといっても未成年の犯罪については―――特殊な配慮を行うべ
きだと」
その人物の名前を出され、あとは聞かないでも分かった。
「彼は以前から君の父親と交流があったそうじゃないか。君のこともよく知っていると言う。そこ
で大臣も交え、ウィゼンガモットの委員数名で話し合ったのだが、彼の保護観察下に置かれる
という条件で、君を公判にかけることなく釈放できるかもしれない」
この男はどこまで知っているのだろう。ウィゼンガモットに多くの知り合いを持ち、大臣にまで
働きかけられるほどの力をもった、『父親の友人』が、かつてどのようにドラコを扱ったか。
知った上で、ドラコがこの話に乗るとでも思っているのだろうか。
「保護下に置かれるため、当然ある程度の束縛はあり得るが、アズカバンに収監されることを
考えたら、君にとっては願ってもない話だと思うが?」
ドラコが首を縦に振ったら、この男の元にどれだけのガリオン金貨が転がり込むことになって
いるのか。唇を噛み締め、拒絶を口にしかけたが、ふと視線をあげ、男に尋ねた。
「一つ、聞いてもいいでしょうか」
それはずっと心の片隅で抱き続けていた不安。大丈夫だ、と自分に言い聞かせてもなお、心
臓が波打つ。
「ハリー・ポッターは生きているんですか」
語尾が震えた。目の前の男が意外そうに片眉を上げ、「知らなかったのか」と呟いた。
「生きているよ、もちろん」
その言葉に、体中の緊張が一気に緩んだ。
当たり前だ。ハリー・ポッターが死んだりするはずない。彼は『生き残った男の子』なんだか
ら。ほんの一瞬でも、彼の生死を疑うなんて、愚かなことだった。
それでも彼が生きていると告げられて、はちきれそうな喜びと安堵が胸を満たす。
涙が零れそうになるくらい。
「ただし彼は裁判にはやってこない。ダンブルドアが殺害された瞬間を目撃した人物の内、唯
一まともに連絡が取れるのが彼だったから、証人として召喚要請を出したのだが、答えは
『NO』だった。フクロウ便で返信が来たんだ。本人の署名入りで」
男はドラコに対して若干、憐れむ様子を見せた。無実を証明できる可能性がある、唯一の証
人が召喚要請を拒否したのだ。しかし彼がドラコを少しでも可哀想だと思うのは、拒否の理由
を知らないからだ。
ドラコ自身はよく知っている。ハリーが何故、法廷へ来るのを拒んだか。
ハリーは自分を憎んでいる。憎んでいないわけがない。
ダンブルドアを死なせた原因がドラコにあるからじゃない。
彼との間に交わした約束を守れなかったからだ。
決して破ってはいけない約束だったのに、あの時、ドラコは果たすことができなかった。
だけど、せめて今からでも。
「ハリー・ポッターが来ない以上、君が無罪の判決を受ける希望はまず無いと言えるだろう。ポ
ッターから詳細を聞いたと思われる者たちも何名かいるが、彼らの証言ではしょせん第三者の
無責任な噂と変わりがない。私としては先ほどの申し出をありがたく受け入れるべきだと思うが
ね」
ドラコは首枷から手を離し、再び羊皮紙へ目を落とした。
囚人番号199777631…ドラコ・マルフォイ―――久しく呼ばれることのなかった自分の名の横
に、罪状が並んでいる。
気持ちはとっくに決まっていた。
「裁きを受ける覚悟は出来ています」
―――この傷が全部消えたら、真っ先にお前のところへ行く。
温かなきらめきに満ちた、あの夏の午後、交わした約束。
それを今、やっと果たせる気がした。

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