ガラスの靴は 私にはまだ
サイズが大きすぎたみたい。







ユング・フラウ








「ルシウスさま!」
 突然視界が、白で覆い尽くされた。
 とっさに反応できず、ルシウスが立ち尽くしていると、クスクスという笑い声が頭上から聞こえ
てくる。
「ナルシッサ・・・・・・」
 ルシウスが苦笑を浮かべる。しかし、決して不快に思ってのことでないのは明らかだった。
「驚かれまして?」
 新緑に縁取られた木上からルシウスに笑いかけているのは、妖精と見まがうばかりに美し
い、一人の少女だった。
 澄み切った空へ突き出された太い枝にまたがり、広がったワンピースの裾から覗く細い足を
楽しげにぶらぶらさせている。
 ルシウスは彼女が振りまいた大量の白い花びらを丁寧に髪から払い、忠告した。
「あまりお行儀がいいとは言えないな。」
 とたん、彼女はパッと赤面し、そそくさと広げていた両足を揃えた。その反応に、ルシウスは
一層笑みを深くする。
「一人で降りられるか?」
 ルシウスが手を差し伸べると、ナルシッサは躊躇いながらも柔らかな手のひらを重ねてきた。
「肩につかまって。」
 不安定な姿勢を支えて抱き上げると、予想以上に軽い。

 ―――そして、あたたかい。

 そよ風にさやがれた金髪が、ルシウスの顔をくすぐった。
「・・・・・・ありがとうございます・・・・・・。」
 そっと呟くように感謝の言葉を口にした少女に、ルシウスはたずねた。
「ここで、ずっと待っていたのか?」
 視線をめぐらせると、緑色の光の狭間に、心地よい音を立てて流れていく小川が見えた。
 初めてナルシッサと出合った・・・・・・いや、ナルシッサを「見つけた」のも、この小川だ。
 一様に夏に染められた大気の中で、水と戯れる彼女の周りだけが、違う色を持っているよう
に見えた。
 以来ルシウスは毎日、この道を通り、ナルシッサたちが夏を過ごす別荘を訪れていた。
 ナルシッサが教えてくれた『秘密の』近道を使って。
 そしてナルシッサは必ず、道のどこかで彼を待っている。
 約束をしたことは一度もない。明日も来ると、はっきり告げたこともない。

「鳥を観察していたんです。」

 答えながら、そらした目元がほんのり、薄紅に染まっている。
 彼女が嘘をつくときの条件反射だということくらい、とっくにお見通しだ。
 しかしルシウスはそれ以上何も聞かず、黙ってナルシッサと並び、歩いていった。
 重なった手を、離さないまま―――







 別荘には、ナルシッサにとって思いがけない人物が待っていた。
 テラスで二組の男女が、早めのティータイムを楽しんでいる。一組はナルシッサの両親、残り
の二人も、おそらく同年代の夫婦のようだ。なんとなく見覚えがあるように思った。
 たぶん、パーティーか何かのときに・・・・・・
「ナルシッサ、我が―――両親だ。」
 ルシウスが肩をすくめ、けれどなぜか僅かにこわばった口調で、告げた。
「まぁ・・・・・・はじめまして、ナルシッサ・ブラックと申します。」
 慌ててちょこん、とお辞儀をする。
 道理で見覚えがあるはずだ。毎年夏に父が開く、別荘でのパーティーに招待されていたに違
いない。たしかマルフォイ家も代々、この地に受け継がれた別送があるとルシウスが言ってい
た―――ということははじめまして、ではなかったかしらとナルシッサはあせったが、同時にル
シウスがここを訪れたのは七年ぶりだといっていたことが、頭をよぎった。

 何故、ルシウスはここへそんなにも長い間、来なかったのだろう―――

「あらあら、可愛らしいこと。」
 ルシウスの母親が、愛情深くナルシッサを見つめた。
「ナルシッサ、我々とは毎年会っているじゃないか。そんなに硬くならないで。」
 マルフォイ氏も上機嫌で、ナルシッサに微笑みかけてくれる。
「そうですよ。私達は家族になるのだから。」
 発せられた言葉をナルシッサが理解するより早く、テラスへ続く出窓からアンドロメダが姿を
現した。
 見事な栗色の巻き毛が頬にかかり、優しい微笑を絶やさない口元はストロベリー・ピンクに彩
られている。唇と同じ色のローンのワンピースにしみ一つない白のエプロンを着け、フリルが豊
かな胸元を程よく覆っていた。
 手に持っているのはフルーツフレーバーティーがたっぷり入った、ガラスのポット。
 何種類ものベリーを組み合わせて作るアイスティーは、アンドロメダのお得意だ。

「ルシウス」

 アンドロメダが彼の姿をみとめて呼びかけた。隣に立つ妹ではなく、他人のはずの、ルシウス
を。
 不意に、右手が空っぽになった。ルシウスが繋いでいた手を離したのだ―――なくなって初
めて、ナルシッサはそこに確かなぬくもりがあったことを知覚する。
「遅れてしまったかな、アン。」
 ルシウスの背中が見える。


 
 なぜ、そんなに優しい声を出すの、と思った。

 なぜ、そんなに大切そうに、アンの名前を呼ぶの。

 なぜ、アンに向かって手を差し伸べるの。



「ええ。お茶会に遅刻したあなたの席を、これから作らなくちゃ。」
 女らしい笑みをルシウスに与えて、アンドロメダはティーポットをテーブルに置いた。
 アンドロメダの指に、何かが光っている。
 右?……いや、左手だ―――左の、薬指―――

「シッサ。こっちにおいで。」
 ベラトリックスの声で、ナルシッサは我に返った。
 いつの間にか彼女が裏口から現れ、ナルシッサをじっと見つめていた。
「ベラ―――シッサにはあなたから……?」
 腰を浮かしかけた母親に、ベラトリックスはひらひらと手を振り、了解の意を示した。
 ナルシッサはくるりとテラスに、ルシウスに背を向け、ベラトリックスの待つ裏口に、駆け込む
ように避難した。
 まさしく、避難するという言い方がふさわしかったと思う。
 なぜなら、ベラトリックスがドアを閉めたとたん、堪えきれない涙が次々と溢れ出てしまったか
ら。