つかの間の浅いまどろみに身を任せていたハリーは、コツコツとガラスを叩く音で現実に引き
戻された。
「やっと来たか」
こちらも物音に気づいたらしいドラコが、寝室に戻ってくる。
ドラコが窓を開けると、十二月の冷気と共に、飼い主に似てえらく気位の高そうなワシミミズク
が飛び込んできた。差し出された主人の細い腕へ音もなく舞い降りたワシミミズクは、脚に括り
付けられていた小瓶をはずされると指図されるまでも無く、開いたままのドアからキッチンの方
へ飛んでいく。ヘドウィグと共用ながら、そちらに彼女の餌台があるのだ。
去り際、ワシミミズクがなんとなく人を小馬鹿にした目つきでハリーの方を見ていった気がし
たのは、さすがに被害妄想というやつだろうか。
「感謝しろよ。わざわざ母上にお願いして送っていただいたんだ」
何を勘違いしたのか、赤いリボンと造花の薔薇でデコレートされた小瓶が、グイ、と眼前に突
き出される。
凝った細工のガラス瓶の内側で揺れているのは、甘そうなピンク色の液体だ。
「懐かしー…」
思わず零した素直な感想に、ドラコが面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「お前は昔から、僕に迷惑ばかりかけていたってことだぞ」
「あれっていつの夏休みだったっけ」
「三年生になる前の夏だろ」
一見、固い蓋をこじ開けることに集中しているように見えたドラコだったが、即座に答が帰っ
てきたということは、ちゃんとハリーのほうにも注意を払っている、というわけで。
「あー思い出した! あの夏休みの前にドラコが初めて大人のお付き合いをさせてくれ……」
全て言い終わる前にハリーは、口どころか顔全体を手のひらで押さえつけられた。
「余計な事は思い出さなくていい!」
分かりやすく耳まで真っ赤になったドラコに苦笑して、ハリーは瓶の中身を一気に飲み干し
た。ピーチベースのフルーツジュースみたいな味がするそれは、ブラック家に代々伝わる栄養
ドリンクだ。風邪の症状を和らげることはないが、肉体の抵抗力を総合的に高めてくれる効果
があり、結果として短期間で風邪から回復することができる。
門外不出の秘薬とドラコは強調しているが、実はハリーは以前にも―――まだホグワーツの
三年生にもなっていなかった夏休みに、これを飲んだことがある。あのときもやはり、これをく
れたのはドラコだった。ハリーがプリペット通りのあの家で夏風邪に倒れたと知り、ドラコは夜
中にもかかわらず駆けつけてくれたのだ。
ドラコは決して認めはしないだろうが、あれはいわゆる『お見舞い』というヤツだったんじゃな
いだろうか、と今更ながらに頬を緩めていたら、ドラコに眉をしかめられた。
「なんだ、一人でにやついて。気持ち悪い」
「へへへ。ドラコって優しいよね。昔から」
「……馬鹿」
言いながら、ハリーから目を逸らすドラコの目許は、けれどほんのり紅く色づき始めていた。
眼鏡を外している上、熱でかすんだハリーの視界にも尚、はっきりと分かるくらい。これは何か
言いたいことがあるのに言い出せないときのサインだ。
「なーに? ドラコ」
助け舟を出してやると、ようやくボソボソと白状し始める。
「……サンドイッチを作ってたんだ。食べるか?」
「食べる!」
というわけで、ハリーはこの日初のまともな食事にベッドの上でありつくことになった。
熱のせいで食欲なんて吹っ飛んでしまったと思っていたのに、いざ食べ物を目の前にするとど
こからともなく空腹感が押し寄せてきて、ハリーはせっせとサンドイッチを口に運んだ。
意外にも、といってはなんだがドラコの料理は美味しい。
ネックだったマグルの調理器具の扱いさえマスターしてしまえば、材料を切り刻んで混ぜ合わ
せるという作業は、ドラコが得意だった魔法薬学に通じるものがあるらしい。几帳面な性格が
災いして、調味料の全てを天秤できっちり量ろうとするため、ハリーが作る三倍近く時間がか
かるのが難点だったが。
タマゴとトマトのサンドイッチをほとんど一口で飲み込み、
「美味しいよ。最高!」
と褒めると、ドラコは
「当たり前だ。この僕が作ったんだから」
なんて強気なことを言ったけれど、同時にあからさまにホッとした様子を見せた。
ドラコも自分の分のサンドイッチを持ってきてはいたが、皿を膝に乗せたきり手をつけていな
かったのは、たぶんハリーの反応の方が気がかりだったからだろう。だけどそこを指摘せずに
いてあげるのが、ハニーの懐の広さを示せるところだ。
「もっともってくるか?」
早々と空になったハリーのプレートに目ざとく気づき、キッチンへ追加分を取りに行こうと腰を
浮かせるドラコは、懐も視野も心も狭いけど、根はとっても優しい最高のダーリンだと思う。
「ううん。もうお腹はいっぱい。それよりさ」
ハリーは立ち上がりかけたドラコの手首を掴み、淡いブルーグレーの瞳を覗き込んでおねだ
りを試みた。
「ドラコ、もう少し傍にいて」
また、気持ち悪いだのしっかりしろだの言われるのは覚悟の上、だったのに。
「……仕方の無いヤツだな」
そっと、華奢な白い手が、ハリーの額を撫ぜた。
「熱い…な」
「ん…だからさ、冷ましてよ」
予想外に寛容なドラコの態度にちょっと驚きはしたが、そこで遠慮をしているようでは、新婚
ハニーの名が廃る。これ幸いとばかりに細い腰へ腕を回し、服越しに低い体温を感じようとドラ
コの胸元に頬をすり寄せる。まるで、甘えたがりの猫みたいに。
「あまり動き回るな。熱が上がるから静かに横になっていろ」
「じゃあドラコも一緒に寝てよ」
「は?」
ハリーの要求に、今度こそドラコの目が点になる。
「ドラコが一緒だったら大人しくしてるからさ!」
「……お前、馬鹿か」
呆れたように呟くドラコは、たぶん正しい。
風邪っぴきの人間と一つベッドに寝る、だなんて、どうぞうつしてくださいと言っているようなもの
だ。おまけにまだ日も高い昼日中。
「だって一人だと寂しいんだもん」
唇をとがらせて嘯くものの、さすがにこの泣き落としが成功するとはハリーだって思っていな
かった。
けれど。
「…少しだけだからな」
もしかしたらハリーの熱が波及したのかもしれない。ため息を一つついたドラコは、なんとハ
リーの体が発した熱がこもっているシーツをめくり、ベッドに潜り込んできたのだ。
「わーい、ドラコと昼寝だー」
ハリーの胸の上にドラコがこてん、と頭を乗せてくる。
「お前、うつしたらただじゃおかないぞ」
子供みたいに一人ではしゃいでいるハリーに、ドラコがジロリと睨みを利かせて釘を刺した。
「二人で倒れたりしたら―――面倒を看るヤツがいなくなる」
それは暗に、ハリーの面倒は自分が看る、と宣言してくれたようなもので。
「大丈夫」
ダーリンにベタ惚れのハニーを付け上がらせるには、十分の一言だった。
ああ、もう。堪らない。
どうしてこの旦那さまはこんなに意地っ張りでひねくれ者のくせに、人一倍、愛情深いんだろ
う。
「変なことも一切するなよ」
「大丈夫―――そんな元気ないよ」
苦笑しながらそう言うと、ドラコは酷く辛そうな表情を浮かべた。
「そんなに苦しいか…?」
僅かに逡巡した後、おずおずと背中に回される、ドラコの腕。
ドラコが自分からハリーを抱き締めてくれた。
黙ったまま、ただじっとハリーを抱いていてくれる。火照ったハリーの体を自分の低い体温
で、少しでも冷まそうとでもいうかのように。
「うん。苦しい」
だるくて思うように動かない手足を絡め、力任せに抱きついた。
「ドラコがこんなに近くにいるのに、何もできないのが本当に苦しい」
「馬鹿」
ぺしっと頭を叩かれたが、力を緩めたりなんかしない。
「病人なんだから優しくしてよ」
「こんな病人があるもんか」
ドラコは怒ったように言い返したが、ハリーの腕の中から逃れようとはしなかった。ドラコさえ
本気を出せば、なんなく抜け出せる束縛から。
胸の中にたとえようもない暖かさが広がるのを感じ、ハリーはドラコに唇を寄せた。乾いた自
分の唇をドラコの薄く開いた柔らかなそれに重ねる。触れ合った場所から全身に、甘い悦びが
はじけ飛んでいくのが分かった。
それは錯覚でも、幻想でもなくて。
どんな薬より、どんな呪文よりも良く効く、魔法のおまじない。
ドラコが同じように高熱を発して寝込んだのはその翌日だった。
『はい、昨日の夜から急に熱が―――試薬でも陽性でした。とてもじゃないですがベッドから出
せる状態ではありません。時々すごく苦しそうに咳き込んだりして……できるものなら僕が代わ
ってあげたい! 僕がいなかったら確実に死んでしまいます。ウサギ並みに寂しがりやなもの
で』
締りの無い声がぺらぺらと、勝手な事をしゃべっているのがドア越しに聞こえた。
ちょっとざらついていて、お世辞にも『良い』とはいえないと思うのに、なぜか惹きつけられてし
まうその声を、聞くのは嫌いじゃない。
普段は男らしく引き締まった口元が、だらしなく緩み、あることないこと惚気まくってさえいなけ
れば。
「ドラコ―――大丈夫?」
寝室のドアが開き、ボサボサの黒髪が覗く。ただでさえ収まりが悪い髪質の上、さっきまで暖
炉に頭を突っ込んでいたせいだろう、ボサボサの具合に磨きがかかっている。頭を上げるのも
億劫で、ドラコは解けた氷嚢の下から可能な限りの鋭さでハリーを睨みつけた。
「お前…あれほどうつさないって言ってたくせに…」
ドラコに責められ、彼の自称『奥様』はシュンと項垂れて見せる。コチラはブラック家特性栄養
ドリンクが功を奏したのか、昨日とは打って変わってスッキリした顔色だ。
「ゴメンね、ドラコ。苦しいだろ?」
ゴメンですんだら魔法警備隊はいらない、と五歳児並のリアクションをしかけたドラコに、
「でもね」
無駄に肝の据わった押しかけ女房は、にやりと笑いかけた。
「ドラコは何度も『うつすな』って言ったけど、僕はうつさないとは言ってないよ?」
「な…ッ」
しゃあしゃあと言ってのけたハリーに、ドラコが驚きの声を上げる。
「僕が『大丈夫』って言ったのは、二人して倒れることはないって意味で」
諭すようにやさしく言いながら、ハリーがシーツの下の体に手を這わせてきた。
「あっ…やっ…何を…」
「だから僕はちゃんとこうして元気になったでしょ?」
撥ね除けようにも、熱に冒された体が言うことをきかない。シーツどころかあっという間にパジ
ャマの下にまで侵入開始したハリーの手は、いつもどおりの暖かさのはずなのに、なぜかぴり
っと冷たく感じられた。
ハリーがドラコの耳朶を甘噛みして、囁きかける。
「大丈夫―――ドラコの面倒は全部僕が看てあげるからね…まずは汗かいちゃっただろうから
着替えようか」
「…ば…ッ…そんなとこ…触る…なッ…」
熱でぼんやりした頭で考えたって、ハリーの手が着替えと無関係の動きしかしていないのは
分かる。ハリーに抱き上げられ、ドラコはのろのろともがいた。
「やめろハリー…! …やめ…」
「大丈夫、ちゃんとお休みの連絡はしておいたよ。僕と二人分」
「そういうことじゃなくて…っ…ん…」
「着替える前にもう一汗、かいておく? 溜まってるでしょ、お互い」
「馬鹿! …あ…ぅ……」
ドラコが弱々しい抵抗を諦め、ハリーの腕の中で甘い吐息を零し始めるまで、あまり時間は
かからなかった。
「君と、二人暮らし」の続き。
一つ屋根の下なら風邪ひいたってラブラブです!介抱してくれる人がいるという、幸せ。
ある意味、ラストのハリーは最凶に外道だということに気づいてしまったのは、コピー本の製本途中でした。
冬コミ前のフィーバーテンションで書いてるときは、このくらい平気平気〜って思ってたのに…!
負けちゃダメだ、ドラコ!!

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