カチリ、と時計の長針が動いて、天を指した。
短針との間にきれいな30度を作り、同時に列車のボォッという出発の合図がホームに響く。
窓から身を乗り出して見送りに手を振るのは、いずれも10代の子供たちだ。
家族に別れを告げ、走りだす先は先頭車両のプレートにきちんと記されている。
『Hogwarts』と。
ファースト・ステージ
その時、ルシウスは他の生徒達と同じように窓ガラスを押し上げ、父母から学校生活に関す
る最後の注意を受けているところだった。今年からホグワーツで寮生活を送ることになる嫡男
に、両親はいささか過ぎるほどの愛情を注いでいた。
もう何度となく繰り返された言葉―――マルフォイの名に恥じない行動を心がけること、勉強
だけに偏らずスポーツにも積極的に取り組むこと、付き合う人間は選ぶように―――ではあっ
たが、とりあえず口にすることで両親の気が休まるのならば、とルシウスは黙って耳を傾けてい
た。
それもようやく終わる、と汽笛の音を聞いた矢先だった。
口々にわが子に向かい何かを叫んでいる大人たちの間をすり抜け、生徒と思しき青年が猛
烈な勢いで駆けてくる。背は十分に伸びているというのに、そばかすに丸眼鏡という組み合わ
せの顔は、必死の形相にもかかわらずやけに子供っぽく見えた。
行き交う人々に時代遅れの、いかにも重そうなトランクをぶつけて悲鳴を上げさせている。な
んとか列車に辿り着いた彼は、車輪が完全に回り始める前に乗車口のステップに足をかける
ことができた。
ふわり、と柔らかな赤い髪が揺れた。
どうなることかと見守っていた生徒と保護者の間から、野次と口笛、拍手が上がったが、どこ
までも間抜けな奴だったらしい。自分が注目を浴びていることに突然気づいた彼は、驚いたの
かそれとも単に勢い余ってか、ステップの上で盛大にこけるというパフォーマンスまで演じて見
せたのだ。そのままホームに転落することだけは免れたものの、おかげでホームは大爆笑だ
った。
おそらく上級生だろうに、情けない、とルシウスは顔をしかめて両親に視線を戻したが、父親
はルシウス以上に苦虫を潰した顔で何か呟いていた。
列車が走り出す轟音に掻き消されて聞き取ることは出来なかったが、唇の動きから単語を連
想することは容易にできた。
なるほど。
彼、がそうなのか。
片手でバーにしがみつき、もう片方の腕だけでトランクを車内に押し込もうと苦心している青
年をしばし見つめた後、ルシウスは面白くもないとブラインドを下げ、座席に座り直す。
背筋を伸ばして、けれどゆったりと余裕を持ち、寛いだ様子で。
コンパートメントにはルシウスの他、誰もいない。
過保護な父母は、息子が長時間の車中を誰からも邪魔されることなく静かに過ごせるためなら
ば、朝からハウスエルフにコンパートメントを確保させるくらい、なんとも思ってはいない。
ハウスエルフが出発直前まで、魔力で巧みに他の生徒が近寄らないよう細工したおかげで、
ルシウスは新入生にもかかわらずコンパートメントを一人で独占することができたのだ。
それでも廊下から聞こえてくる喧騒に、若干辟易しながらルシウスは軽く目蓋を閉じた。
これからはじまる学校生活とやらは、この何倍も騒がしく馬鹿らしいものなのだろう。
しかしどうしたってやり過ごさなければならないとあれば、できる限り上手く立ち回るつもりだ
った。適度に間を置いて、間違った連中とは交わらない。
そう、たとえば―――新学期早々、大々的に失態を演じて見せるような輩とは。
あんな奴と同類と見なされては堪らない。
だから可能な限り関わりを持たないようにしよう。
おかしなほど強く、そう心に決めた瞬間。
「・・・・・・ここ、空いてる?」
たった今、決して知り合いになるまいと決心した相手がコンパートメントの戸口に立っていて、
ルシウスは危うく叫び声をあげるところだった。
「君、一人なのかい?ここに入れてもらってもいいかな。他が―――空いてないみたいで。」
おっとりした口調で、やや決まり悪げにそう告げる彼は、そばかすだらけの顔にフレームの
ゆがんだ眼鏡をかけていた。全身から小物感を漂わせているくせに身長だけはやけに高い。
「・・・・・・・・・・・・どうぞ。」
たっぷり逡巡した後、どう見ても上級生だということが分かる人物を相手に、入学初日から出
て行けと言うわけにもいかず、せめて「邪魔だ」のニュアンスが伝わるようにと、皮肉っぽく答え
たつもりだった。しかしそれも相手に伝わらなければ、全て無駄な努力だ。
「ありがとう。」
顔面いっぱいに馬鹿みたいな笑顔を浮かべて、彼は荷物をコンパートメントに運び入れてき
た。
「珍しいね。コンパートメントに一人なんて。」
その珍しい状況をぶち壊した犯人は、無邪気なまでに明るい声で話しかけてくる。
話の糸口を見つけたがっているのは明らかだったが、ルシウスには何故、彼がそうしたがる
のかが分からない。大人しく端の方に座り、先に居たものの邪魔をしないよう黙っていることが
どうして出来ないのだろう。
「君は新入生・・・・・だね。」
寮のエンブレムが入っていないローブを見て、そう言ったのだろう。面倒くさそうに首を縦に振
って肯定すると、眼鏡の奥で青い瞳が好奇心を帯びたのが分かった。
今度は何を聞いてくるつもりだ、と半ば諦めて構えていると、あろうことか目の前の男はとん
でもないことを質問してきた。
「もしかしてマグル出身?」
空気が一瞬にして凍てついた。
「・・・・・・・・・私が、何だと?」
変声期前のボーイソプラノを、最大に低く落として聞き返す。
聞き間違いの可能性も全くないとはいえないので、ラストチャンスのつもりでもう一度答える
機会を与えてやることにした。
「よく聞き取れませんでした。今、なんとおっしゃいましたか?」
「いや、君はマグル出身だったりしないのかなあって。」
ルシウスの殺気すら、これっぽっちも感じていないらしい彼は、相変わらずへらへらとふざけ
たことを平然と言ってくる。
よりによって、『マグル』!?
単語を聞くのも穢らわしい。マグル生まれと机を並べるなんて、想像しただけで吐き気と頭痛
がしてくる。
魔法は純血の間でのみ伝承すべきだ。そして自分こそは正当な血筋の魔法族だ!
そのルシウスにマグル出身?と尋ねてきた命知らずはあろうことか、期待に目を輝かせてル
シウスの返事を待っている。
今すぐこの世に生を受けたことを後悔させてやりたい衝動をぐっと抑え、ルシウスはゆっくりと
深呼吸をした。
怒りと動悸を鎮めた後、努めて冷静に、冷淡に答をくれてやった。
「私はあなたと同じですよ。アーサー・ウィーズリー。」

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